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明徳の乱(めいとくのらん)

1391年(明徳2・元中8)末,山名満幸らが幕府に対しておこした反乱。山名氏は新田氏一族で足利尊氏に従い,一時足利直冬(ただふゆ)に属したが,復帰後,中国地方,和泉・紀伊の計11カ国の守護となった。89年(康応元・元中6)惣領時義が没すると,その子時熙(ときひろ)と氏之(幸),同族の氏清・満幸との間に内紛がおこった。足利一門以外の有力守護の勢力削減をはかる将軍義満は,翌年,満幸らに時熙らを討たせ,時熙らの守護職を満幸らに与えたが,91年,義満は時熙らを許して満幸を追放。満幸は叔父氏清・義理(よしただ)と挙兵,12月末,京都内野(うちの)で幕府軍と激戦し氏清は戦死,満幸は逃亡ののち討たれた。紀伊にとどまった義理は,大内義弘に攻められて出家した。乱後,時熙ら山名氏の守護職は中国地方の3カ国のみとなり,和泉・紀伊両国は大内氏となった。義満は土岐氏に続いて山名氏の勢力削減に成功し,大内氏対策へとむかう。乱の経過などは「明徳記」に詳しい。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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