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源頼朝(みなもとのよりとも)

生没 1147~99.1.13 鎌倉幕府初代将軍(在職1192.7.12~99.1.13)。父は源義朝。母は熱田大宮司藤原季範の女。1159年(平治元)の平治の乱で義朝が敗れたため,翌年平氏に捕らえられ,伊豆国に流罪となった。80年(治承4)以仁(もちひと)王の平氏討伐の令旨(りょうじ)に応じるかたちで,反平氏の兵を挙げる。石橋山(神奈川県小田原市)の合戦で敗れたものの,房総へ渡って勢力を回復,富士川の戦で勝利し,同年末までに鎌倉を本拠とする南関東軍事政権を確立した。83年(寿永2)同族の源義仲が平氏を追い落として京都に入ったが,頼朝は後白河上皇に接近し,義仲を出し抜いて東国の支配権を認めさせた。このため義仲と対立,84年(元暦元)には弟の源範頼・同義経を派遣して義仲を破った。85年(文治元)平氏を滅ぼす。その後義経と対立,上皇が一時義経に味方したため,その追捕を名目に上皇に迫って議奏公卿および守護・地頭の設置を実現させた。89年義経死後,奥州藤原氏を討ち,90年(建久元)上洛し,上皇に対面して和解。権大納言・右近衛大将に任命されたが,まもなく辞した。92年上皇の死後に征夷大将軍に任命された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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