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水野忠邦(みずのただくに)

生没 1794.6.23~1851.2.10 江戸後期の老中。肥前国唐津・遠江国浜松藩主。越前守。父は唐津藩主水野忠光。1812年(文化9)家督相続。倹約令を発し,二本松義廉を登用して財政改革を企画。奏者番・寺社奉行兼帯。浜松へ転封後,殖産興業・軍制改革を骨子とした藩政改革を断行。大坂城代・京都所司代をへて,28年(文政11)西丸老中,34年(天保5)本丸老中。のち1万石加増。39年老中首座。大御所家斉没後,41年から天保の改革を主導。鳥居耀蔵を町奉行に登用し強圧的な政治を行ったため反発をうけ,43年上知令撤回後,失脚時に江戸屋敷に投石する者が押し寄せた。44年(弘化元)老中再任。翌年辞職。鳥居らの不正が発覚し2万石減封,隠居・蟄居となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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