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長門国(ながとのくに)

山陽道の国。現在の山口県北西部。「延喜式」の等級は中国。「和名抄」では厚狭(あつさ)・豊浦(とよら)・美禰(みね)・大津・阿武(あむ)・見島の6郡からなる。国府・国分寺は豊浦郡(現,下関市)におかれた。一宮は住吉神社(現,下関市)。「和名抄」(名古屋市博本)所載田数は4769町余。「延喜式」には調庸として綿・鰒(あわび)などを定める。関門海峡付近を古く穴門(あなと)と称し,穴門国造や天智朝の穴門国司の存在が伝えられる。長登(ながのぼり)銅山などで銅鉱を産出し,奈良時代に鋳銭司(じゅせんし)がおかれた。長門国司は818年(弘仁9)鋳銭使に変更されたが,825年(天長2)鋳銭司は周防国へ移り,国司制に復した。鎌倉初期には佐々木氏,後期には北条氏一門が守護職をつとめた。南北朝期に周防国で台頭した大内氏がやがて長門国の守護も兼ね,陶晴賢(すえはるかた)の謀反で大内氏が滅ぶと,安芸国の毛利元就(もとなり)が長門国をも支配下に組みいれた。関ケ原の戦で西軍についた毛利氏は,戦後周防国と長門国のみを領することとなり,萩を城下とした。1864年(元治元)藩庁を山口に移す。71年(明治4)の廃藩置県の後,山口県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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