日本鉄道機関方争議に勝利した機関手・機関助手が,争議の収束した1898年(明治31)4月5日に結成した労働組合。全員加入制を指向し,99年には1000人の会員を組織した。キリスト教の影響を強くうけ,会員の修養を重視する姿勢がその名称の由来とされている。1901年11月に天皇の乗った列車事故の責任を負わされて政府から解散命令を出された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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