二宮尊徳(にのみやそんとく)
生没 1787.7.23~1856.10.20 江戸後期の農村復興の指導者。通称金次郎。公人としては尊徳を使用。諱である尊徳の正式の読みは「たかのり」。相模国足柄上郡栢山(かやま)村生れ。少年期に父母を失い,災害で没落した家を独力で再興。この体験をもとに天地人三才の徳に報いることを説く報徳思想を形成,また家・村を復興し興国安民を実現する仕法を体系化した。1822年(文政5)に小田原藩に登用され,42年(天保13)には普請役格の幕臣となる。関東と周辺の諸藩領・旗本領・幕領・日光神領の復興や個別の家・村の再建を依頼されて指導。下野国今市(いまいち)の仕法役所で没す。その思想・仕法は報徳社に受け継がれた。著作・仕法書類は「二宮尊徳全集」所収。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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