2・1スト(に・いちスト)
1947年(昭和22)2月1日を予定日として計画され,GHQによって中止させられたゼネラル・ストライキ。民間企業に比べて賃上げの遅れていた官公庁労働者は,46年11月に全官公庁労働組合共同闘争委員会を結成し,12月政府に要求を提出。47年年頭に吉田茂首相が彼らを「不逞の輩」とよんだことから,内閣打倒の声が強まった。民間労組も支援し,1月15日に600万人を擁する全国労働組合共同闘争委員会が結成され,ゼネストが計画された。1月31日にマッカーサー最高司令官が中止命令を出したためストライキは不発に終わったが,運動の高まりを背景に4月の総選挙で社会党が勝ち,片山哲内閣が誕生した。一方で労働運動内に大きな影響力をもっていた日本共産党の指導方針に対して批判がで,産別民主化同盟(民同派)が台頭した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう