乃木希典(のぎまれすけ)
生没 1849.11.11~1912.9.13 明治期の陸軍軍人。萩藩士の子。1865年(慶応元)報国隊に参加し幕府軍と戦う。69年(明治2)伏見御親兵兵営に入営,翌年脱藩騒動鎮圧のため帰藩。西南戦争では軍旗を失う。86~88年川上操六とともにドイツ留学,帰国後軍紀確立を主張する報告書を提出。日清戦争では歩兵第1旅団長として旅順攻略。96年に台湾総督に就任。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃を指揮,2子をはじめ多くの戦死者をだす。戦後学習院院長。明治天皇の大喪の日,妻静子とともに殉死。国民的英雄として多くの伝説をうみ,またその死は賛否両論をまきおこした。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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