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大塩平八郎(おおしおへいはちろう)

生没 1793.1.22~1837.3.27 江戸後期の大坂町奉行所与力,儒学者。名は後素(としもと),字は子起(しき),通称は平八郎,中斎(ちゅうさい)と号した。父敬高の没後,家職の与力を継ぎ,のちに大坂町奉行高井山城守実徳に重用され吟味役となる。在任中は手腕をふるい名声を高めたが,高井の辞職に際しみずからも辞職。文武両道に秀で,学問では陽明学を修め,私塾洗心洞(せんしんどう)で大坂の与力・同心や近隣の豪農とその子弟などに教授した。1836年(天保7)の大飢饉のとき,東町奉行跡部良弼(よしすけ)に窮民の救済を上申したが聞きいれられず,翌年近隣の農村に檄をとばし挙兵,失敗し逃亡,約40日後に市中潜伏中を発見され自刃した(大塩の乱)。著書「古本大学刮目(かつもく)」「洗心洞箚記(さっき)」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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