1880年代,鹿鳴館で西洋風の夜会などが盛行した欧化主義の時代。鹿鳴館の舞踏会に象徴される表面的な欧化政策は,井上馨(かおる)外務卿の条約改正を側面的に促進する役目をもっていたが,井上の失脚により幕を閉じた。近代化の多様な価値と可能性を内包していた文明開化とは異なり,あだ花ともいえる鹿鳴館時代は,同時期の国粋保存主義にも席を譲ることになった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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