相良氏(さがらし)
中世の武家,近世大名家。藤原南家乙麻呂流。周頼(ちかより)が遠江国相良(現,静岡県牧之原市相良)に住んで相良氏を称したのに始まる。鎌倉初期,頼景は御家人となり肥後国多良木(たらき)(現,熊本県多良木町)に下向。子の長頼は同国人吉荘(現,熊本県人吉市付近)地頭となり,以後,多良木系を上相良,人吉系を下相良とよんだ。南北朝期には下相良の頼広・定頼・前頼(さきより)の3代が南朝に仕え,肥前国守護となる。のち下相良の庶家永富氏の長続(ながつぐ)が惣領となってから勢力を拡大,球磨(くま)・八代(やつしろ)・葦北(あしきた)3郡を領する戦国大名に成長。関ケ原の戦に徳川方となり,旧領を安堵され,代々人吉藩主2万2000石。維新後,子爵。「相良家文書」を伝える。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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