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佐賀藩(さがはん)

肥前藩とも。肥前国佐賀(現,佐賀市)を城地とする外様大藩。1584年(天正12)領主の竜造寺隆信が島津・有馬両氏連合軍との戦いで敗死し,重臣鍋島直茂に実権が移動。関ケ原の戦で西軍に属したが,徳川家康の命による筑後国柳河の立花宗茂攻めの功により旧領が安堵され,直茂の子勝茂が竜造寺氏の家督を継ぐかたちで鍋島佐賀藩が成立,以後11代にわたる。藩領は肥前国10郡のうち35万7000石余。藩成立の事情から竜造寺系家臣の勢力が強く,1611年(慶長16)と21年(元和7)の2度にわたり家臣から三部上地(知行地の30%召上)を行い,これをもとに小城(おぎ)・蓮池(はすのいけ)・鹿島の3支藩や白石鍋島家などの一門を創設した。長崎警備を福岡藩と隔年で勤めたが,財政負担も多大で,新田開発を行う一方,家中御馳走米・米筈(こめはず)(藩札)発行・大坂からの借銀をくり返す。フェートン号事件では長崎警備の不備をつかれ,藩主斉直(なりなお)は逼塞(ひっそく)を命じられた。しかしその子直正は借銀の7割5分献金,均田法による小作貧農層分解阻止,陶器・蝋・石炭の専売や外国輸出などで藩財政を強化。洋式軍事工業を導入して諸藩中屈指の軍事力を保持し,維新後の明治政府のなかで地位を高めた。詰席は大広間。藩校弘道館。廃藩後は佐賀県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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