専修寺(せんじゅじ)
�@栃木県真岡市にある真宗高田派の寺。高田山と号す。同派では教団発祥の地として本寺(ほんじ)とよび,本山の三重県津市の専修寺住持が兼任する。1225年(嘉禄元)夢告を得た親鸞が信濃善光寺の一光三尊仏を本尊として建立。親鸞の東国布教の拠点となり,2世真仏(しんぶつ)・3世顕智(けんち)の高田門徒は浄土真宗初期教団における最有力信徒集団だった。1464年(寛正5)10世真慧(しんね)は伊勢国一身田に道場を建立し,翌年寺基を移したといい,真慧を中興の祖とする。大永年間の兵火で衰退し,本山としての機能を一身田に移した。本尊の善光寺式阿弥陀三尊像は鎌倉時代の作。如来堂・御影堂は重文,寺域全体は国史跡。�A津市一身田町にある真宗高田派の本山。高田山と号す。同派10世の真慧(しんね)が文明年間に建立した無量寿院(無量寿寺)に始まる。もともとの本山であった下野国高田の専修寺が大永年間の兵火で衰退し,1548年(天文17)に12世尭慧(ぎょうえ)が入寺してからは同派の中心となり,専修寺とよばれるようになった。1634年(寛永11)に越前国畠中村の専修寺との正統争いに勝ち,本山の地位を確立。以降,下野専修寺を本寺と称し,住持は本山の住持が兼ねた。広大な境内には重文の御影堂・如来堂などが並び,寺内町の形跡をいまに伝える。国宝の「三帖和讃」「西方指南抄」,重文の「親鸞聖人消息」「唯信鈔」など多数の親鸞真蹟を所蔵。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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