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清涼殿(せいりょうでん)

「せいろうでん・せいようでん」とも。清冷殿・西涼殿とも。平安宮内裏(だいり)十七殿の一つ。紫宸(ししん)殿の西北にある。宇多朝以後,仁寿(じじゅう)殿にかわり天皇の常御殿となる。これらから内殿・本殿・御殿・路寝・中殿ともよばれる。東を正面とし,母屋(もや),四方の庇(ひさし),東側の孫庇からなる。母屋南部の南北5間,東西2間と東庇を昼御座(ひのおまし)といい,天皇の日中の御座所であった。その北第2の間に御帳台(みちょうだい),前方の東庇に平敷の御座がおかれ,天皇はここで政務を聞いた。叙位・除目(じもく)は東庇に天皇,東孫庇に関白以下公卿が参集して行われた。南庇の殿上(てんじょう)の間には公卿・殿上人が伺候し,殿上定が行われた。西庇には御湯殿上(おゆどののうえ)・御手水間(おちょうずのま)・朝餉間(あさがれいのま)・台盤所(だいばんどころ)・鬼間(おにのま)があり,昼御座の北には夜御殿(よるのおとど),弘徽殿(こきでん)の上御局(うえのみつぼね)などがある。このように清涼殿は,北・西部が天皇の私的生活の場であるのに対して,東・南部は政務,儀式や宴会といった公的な場としての性格が強い。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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