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蘇我入鹿(そがのいるか)

生没 ?~645.6.12 林臣・宗我大郎・鞍作とも。7世紀中葉の官人。蝦夷(えみし)の子。「家伝」上によると,僧旻(みん)の塾に学び,高い評価をうけた。「日本書紀」によると,皇極朝にはみずから国政を執って威は父蝦夷に勝ったという。642年(皇極元)蝦夷の造った双墓のうち,一つを小陵と称してみずからの墓とし,643年,蝦夷は病により出仕せず,私的に紫冠を入鹿に授けて大臣の位に擬した。同年,上宮王家を滅亡させ,644年,蝦夷と入鹿は甘檮岡(あまかしのおか)に家を並べてたて,蝦夷の家を上の宮門(みかど),入鹿の家を谷の宮門と称し,子を王子(みこ)とよばせた。645年(大化元)三韓進調の日,中大兄(なかのおおえ)皇子らによって大極殿で斬られ,死体は蝦夷のもとに届けられた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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