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徳川家治(とくがわいえはる)

生没 1737.5.22~86.8.25 江戸幕府10代将軍(在職1760.9.2~86.9.8)。9代家重の長男。母は側室至心院。幼名竹千代。法号浚明院。祖父吉宗の薫陶をうける。1760年(宝暦10)将軍職を継ぎ,父家重の遺言で田沼意次(おきつぐ)を重用。田沼によって情報を統制され政治的活動が制限されたため,画業に専念するが,傑作には「政事之暇(せいじのひま)」の落款を押したという。生前に実子を失い,田沼の意見で一橋家から治済(はるさだ)の長男家斉(いえなり)を迎えた。86年(天明6)8月初めから水腫で療養中だったが,16日田沼の推薦した町医者の調合薬を服用したところ25日に急死したといわれる。家治の死は反田沼派によって田沼失脚に利用され,田沼は26日辞職を願い,27日老中を罷免。発喪は9月8日。この後10カ月の権力闘争をへて87年6月,松平定信(さだのぶ)が老中に就任。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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