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道元(どうげん)

生没 1200.1.2~53.8.28 鎌倉中期の僧で日本曹洞宗の開祖。法諱は希玄(きげん)。号は仏法房。京都生れ。父は内大臣源通親,母は摂政太政大臣藤原基房の女伊子。幼少のとき父母に死別し,13歳で比叡山で出家,天台教学を学んだ。人は本来,仏であるのに修行しなければならないという疑問を解くため山を下り,栄西の弟子明全(みょうぜん)に参じた。1223年(貞応2)明全とともに入宋,5年間の滞在中に天童山の如浄に参じ得悟した。帰国後「普勧坐禅儀」を著し,坐禅の方法などを説いた。一時建仁寺に身を寄せたが深草に移り,33年(天福元)興聖寺を開き,主著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の著述を開始し,禅の宣揚に努めた。その間比叡山・東福寺などの圧迫があったため,43年(寛元元)門弟波多野義重の招きで越前に移り永平寺を開いた。出家主義にもとづくきびしい修行のもとに教団を形成した。晩年は弟子懐奘(えじょう)に寺を譲り,京都で没した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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