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宇多天皇(うだてんのう)

生没 867.5.5~931.7.19 在位887.8.26~897.7.3 亭子院帝(ていじいんのみかど)・寛平法皇(かんぴょうほうおう)とも。光孝天皇の第7皇子。母は班子(はんし)女王(桓武天皇の孫)。名は定省(さだみ)。884年(元慶8)父の即位の2カ月後に源朝臣を賜姓され,臣籍に下ったが,887年(仁和3)父の臨終に際し皇位継承者に決まり,死去の当日に立太子し,即日践祚(せんそ)した。即位早々,藤原基経に関白として政治を一任しようとしたが,勅答文中の「阿衡(あこう)」の用語をめぐって基経と対立し,苦杯をなめる(阿衡の紛議)。その後,菅原道真を重用し,藤原氏との溝を深めた。31歳で長子(醍醐天皇)に譲位し皇統を確立するが,901年(延喜元)の道真失脚事件によって発言力を失う。899年(昌泰2)仁和寺で出家,法皇となり仏道に励み,御室(おむろ)の法流を開く。著作に「寛平御遺誡(ごゆいかい)」があり,日記も逸文として伝わる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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