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上杉氏(うえすぎし)

中世~近世の武家。勧修寺(かじゅうじ)流藤原氏。重房のとき,丹波国上杉荘(現,京都府綾部市)を支配して上杉氏を称した。1252年(建長4)宗尊(むねたか)親王に従って鎌倉に下ったといわれる。重房の孫清子は足利貞氏に嫁いで尊氏・直義(ただよし)を生み,以来足利氏に重んじられ,室町幕府下では関東管領(かんれい)家として繁栄。一族は山内(やまのうち)・扇谷(おうぎがやつ)・犬懸(いぬかけ)・宅間(たくま)の4家にわかれた。宅間家はまもなく衰退,犬懸家も15世紀初めの上杉禅秀の乱により滅亡。同世紀半ば頃から扇谷家が台頭して宗家の山内家と対立。争乱をくり返すなか,両家は新興の後北条氏によってしだいに圧迫された。1546年(天文15)山内憲政・扇谷朝定(ともさだ)連合軍は武蔵国河越で北条氏康軍に敗れ,朝定は戦死,扇谷家は滅亡した。憲政も52年越後国へ逃亡,61年(永禄4)関東管領職と上杉姓を長尾景虎(上杉謙信)に譲り,山内家も滅んだ。謙信は越後国春日山城(現,新潟県上越市)を本拠に北陸の有力戦国大名となり,関東・信濃方面にもしばしば出兵。その死後,養子景勝は豊臣秀吉に従い,五大老となった。会津若松120万石を領有したが,関ケ原の戦で西軍に加わり,米沢藩30万石に減封。1664年(寛文4)さらに15万石に半減された。維新後,伯爵。「上杉家文書」を伝える。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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