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アフリカ分割(アフリカぶんかつ)

ヨーロッパ列強によるアフリカ大陸植民地化の過程。産業革命の進展を背景に従来の奴隷貿易から合法貿易への転換,奴隷供給地から工業の原料供給地および商品市場としてのアフリカへの転換を望んだ列強は,沿岸部の拠点確保からしだいに内陸部の勢力圏拡大をめざした。その前線で活躍したのが探検家とキリスト教宣教師で,現地有力者との「協定」を根拠に勢力圏が確定した行為は,のちに「聖書と引き換えに土地を奪った」と評された。このアフリカ争奪戦の混乱を列強間で調停するため,ビスマルクの提唱で1884年11月~85年2月にベルリン会議が開催された。同会議ではコンゴ地域での権益調整の他に,アフリカ分割の原則として,沿岸部の新規併合が後背地併合をも意味すること,新規領土併合には列強への通告を要すること,勢力範囲では他国の既得権益の保護が可能な実効支配を樹立することを取り決めた。同会議後,列強は特定地域での相互の利害調整を図り,現地社会の意向を無視したまま「分割」を進めた。1898年イギリスの縦断政策とフランスの横断政策の衝突がもたらしたファショダ事件や,1886年および90年のイギリス‐ドイツ協定による東アフリカの勢力範囲確定などがその例である。この地図上の線引きにもとづき武力侵略が行われ,アフリカの諸地域での外交交渉や武力抵抗による被植民地化回避に向けての努力にもかかわらず,1910年までにアフリカ大陸はエチオピアとリベリアを除き列強によって分割征服されてしまった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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