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アゼルバイジャン

カスピ海南西岸の地域名および国名。現在は南部のイラン領と北部の旧ソ連領(現アゼルバイジャン共和国)に分かれる。地名はアレクサンドロス大王侵入時のこの地の武将アトロパテスに由来するとされるが,異説もある。古代ではアケメネス朝以来ペルシア帝国の支配下にあり,7世紀のアラブの征服によりイスラーム化した。11世紀以降,セルジューク朝の進出などでしだいにトルコ化し,13世紀にモンゴル,15世紀にはトゥルクメン人の支配を受けた。16世紀にはオスマン帝国とサファヴィー朝との係争地になったが,イランに服属。第1次ロシア‐ペルシア戦争の結果,1813年のゴレスターン条約でアラス川以北のアゼルバイジャン北部はロシア領となった。北部はロシア革命直後の1918年一時独立を達成したが,ほどなくソ連に併合された。第二次世界大戦中イランに駐留したソ連軍は終戦後も撤退せず,45年イラン領に共産党系のアゼルバイジャン自治共和国を樹立させたが,翌年崩壊。91年のソ連崩壊で北部は独立を回復。イラン領の中心はタブリーズ,北部のアゼルバイジャン共和国の首都はバクー。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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