中華思想(ちゅうかしそう)
華夷(かい)思想ともいう。中央の中華と,その周辺の四夷(しい)(東夷,西戎(せいじゅう),南蛮(なんばん),北狄(ほくてき))に区別し,中央に文化的な優位性を認める思想。中華は魏晋以降の言葉であり,古くは,夏,華夏,中国,中原といった。周代の中華とは,中央か周辺という地域に関係なく,周室の礼を体得しているか否かで区別された。中国のなかにも伊洛(いらく)の戎,陸渾(りくこん)の戎や赤狄,白狄が混在していた。秦ももとは戎_(じゅうてき)であったが,中原諸国のなかに入っていった。漢代以降は中華思想は冊封体制という皇帝を中心とした国際関係として体現されていった。周辺諸国は中国王朝に臣従すべきものと位置づけられた。魏晋南北朝時代になると,北方の五胡諸民族も中原に入ると,中華思想を持つようになったので,南北それぞれ中華思想を持った王朝が対峙した。隋唐時代には再び一元的な中華思想にもどった。南宋以降は,北方の契丹(きったん),女真(じょしん),モンゴル,満洲族などが中原に入り,中華思想を持った。中華思想は漢民族だけの特権ではなかった。中国の周辺の朝鮮半島や日本でも,小中華思想を持っていた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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