燕(えん)

Yan ・〔戦国〕?~前222 戦国の七雄の一つ。河北省北部を領有。薊(けい)(北京北西)に都した周初以来の封建諸侯国といわれる。前323年以来王を称す。中原の人士を受容して国力を増し,前284年斉に大勝し,北は東胡(とうこ)を撃退して上谷(じょうこく)(河北懐来県)-襄平(じょうへい)(遼陽付近)間に長城を築き,遼東を開拓し,中国勢力の東北移植の基礎を置いた。その後,秦の圧迫を受けて滅んだ。・〔五胡十六国〕五胡十六国の王朝で,前燕(ぜんえん),後燕(こうえん),南燕(なんえん),北燕(ほくえん)などがある。(1)前燕(337~370)鮮卑(せんぴ)の慕容_(ぼようかい)が強大となり,子の_(こう)が竜城(熱河(ねっか))に都して建国し,のち_(ぎょう)(河北)に遷都したが前秦に滅ぼされた。(2)後燕(398~407)_水(ひすい)の戦いで前秦が敗れると,慕容垂(ぼようすい)が後燕を復興し,中山(河北)に都したが,のち北魏に中山を奪われ,竜城に逃れた。(3)北燕(409~438)漢人将軍馮跋(ふうばつ)が後燕を滅ぼして建国したが,弟の馮弘(ふうこう)は北魏の圧迫を受け,高句麗に逃れて殺された。(4)南燕(398~410)北魏が中山を奪ったとき,慕容徳は広固(山東)に都して建国したが,のち東晋の劉裕(りゅうゆう)に滅ぼされた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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