フン

Hun 4~5世紀に中央アジア西部からヨーロッパに侵入した遊牧民。トルコ系,モンゴル系を主体としつつも,さまざまな民族が入っていたらしい。匈奴(きょうど)が西走してフンになったとする匈奴=フン同族論が有名だが,まだ証明されたとはいえない。ただし匈奴の一部がフンの中核になった可能性はある。350~360年代にヴォルガ川を越えてアランを服属させると,375年頃アランとともに東ゴート王国に侵入し,376年には西ゴートに迫った。西ゴートはドナウ川を渡ってローマ帝国領内に入り,民族大移動の引き金を引いた。フンは破った民族の多くを吸収して急速に拡大し,一部はカフカースを越えて西アジアに侵入した。433年頃ブレダとアッティラの兄弟が共同統治していたが,まもなくブレダが死に,アッティラが単独の支配者となって,カスピ海からバルト海に及ぶ大帝国を築いた。451年に北フランスのカタラウヌム(一説ではマウリアクム)の戦いで西ローマ‐西ゴート連合軍に敗れ,453年にアッティラが死ぬと帝国は瓦解した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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