Brezhnev Doctrine 制限主権論ともいう。1968年のチェコスロヴァキア干渉以後,ソ連は,「社会主義共同体」の利益は構成諸国の国家的利益に優先し,それが脅威にさらされる場合には,介入して社会主義を守ることが各国の義務であるという主張を押し出した。89年にソ連がこの主張を放棄した結果,東欧の変革が進んだ。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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