1620~88(在位1640~88) ブランデンブルク選帝侯。巧妙な外交政略によりホーエンツォレルン家の領土を拡大,プロイセンに対するポーランドの宗主権を排除して後年のプロイセン王国の中核を築いた。対内的にはグーツヘルシャフトの容認とひきかえに貴族勢力を一元的官僚行政のもとに組み込み,税制,軍制の整備拡充によって絶対主義の基を開いた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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