不平等条約(ふびょうどうじょうやく)
当事国の権利・義務関係が平等になっていない条約。不平等条約が歴史上特に問題となったのは,19世紀半ば,日本,中国,タイ(当時はシャム),トルコなどのアジア諸国が国際社会へ参加した際に欧米諸国との間に締結した条約である。日本の場合,日米和親条約(神奈川条約,1854年)で開国をしたのち,最初に締結した通商条約である日米修好通商条約(58年)が不平等条約であり,領事裁判権,協定税率,最恵国条款などがアメリカだけに認められた。これらの経緯は,武力を背景とする砲艦外交と国際法に対する無知によるもので,一方的なものであったが,当時の国際法では違法ではなかった。また当時の国際法は,その享有者である国家を「文明国(civilized nations)」と意義づけており,日本は文明国とみなされなかった。特に,領事裁判権(治外法権)は日本の司法制度全般の未成熟に由来するものであった。日本は,このような不平等条約を,オランダ,ロシア,イギリス,フランス,オーストリア‐ハンガリー帝国と締結したが,明治期において,これら不平等条約を改正して平等なものとするため,治外法権の撤廃と関税自主権の回復をめざしたのである。これは,日本を近代化することであり,明治政府は,富国強兵,殖産興業,憲法制定,法典編纂などの方針を打ち出した。不平等条約が改正されたのは1911年である。なお,今日の国際法では,国家そのものに対する強制,脅迫は条約の無効原因となり,かつてのような不平等条約は認められない。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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