ハルハ

Khalkha 喀爾喀 モンゴルの部名。ダヤン・ハーンの2子がハルハ万戸に分封され,内・外ハルハと称した。内ハルハはシラムレン流域に南下し,17世紀初めに清に服属,一部は内モンゴルのバーリン,ジャルード両部となった。外ハルハは16世紀中頃には北モンゴル全域を支配し,セチェン・ハン,トシェート・ハン,ジャサクト・ハンなどの勢力に分かれた。1688年にジュンガルのガルダンが侵入し,その後南下して,清に服属した。清は1725年に新設したサインノヤン部とともに,4部83旗に編成した。法典集『ハルハ・ジロム』は18世紀にトシェート・ハン部王公によって制定され,ハルハの活仏(かつぶつ)ジェブツンダムバ・フトクトの寺領で用いられた。現在モンゴル国住民の多数派を構成している。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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