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ハプスブルク家(ハプスブルクけ)

Habsburg 神聖ローマ帝国およびオーストリアの王朝。10世紀中葉ライン川上流スイスのアールガウ地方におこった貴族で,13世紀には南ドイツで最も有力となる。大空位時代ののち初めて神聖ローマ皇帝に選ばれたルードルフ1世はオーストリアとシュタイエルマルクを獲得し,ドイツ東南部におけるハプスブルク家の領邦支配の基をすえた。同家は15世紀中葉,アルブレヒト2世の即位以来,神聖ローマの帝位を事実上独占する。1477年に婚姻政策でブルグント,ネーデルラントを相続して,一躍ヨーロッパの一大勢力となった。カール5世のときスペイン王位と神聖ローマ皇帝位を兼ねるに及んで,フランスとの敵対が恒久化し,この対抗関係が宗教改革から宗教戦争の時代を通じてヨーロッパ国際政治を深く規定した。1526年にはボヘミアとハンガリーをも相続したが,まもなくスペイン,オーストリアの両系統に分かれた。前者は1700年に断絶,後者は三十年戦争で打撃を受けたのち,17世紀後半からは,ホーエンツォレルン家との対抗のもとで,その関心をむしろ東欧や北イタリアに注いだ。神聖ローマ帝国の消滅後も,1918年までドナウ川流域のオーストリア帝国(1867年以降はハンガリーとの二重帝国)を支配した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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