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ベルリン会議(ベルリンかいぎ)

・〔1877~78〕1877~78年のロシア‐トルコ戦争はロシアに有利に終わり,78年3月,サン・ステファノ条約によってロシアはバルカンに大ブルガリアを建設し,これを支配下に収め,待望のバルカン進出,地中海進出が成功するかにみえた。しかし,イギリスとオーストリア‐ハンガリー帝国はロシアのバルカン進出に脅威を感じ,これに反対を唱えた。このとき,仲介外交のビスマルクのドイツが斡旋に乗り出し,78年7月,ベルリンにイギリス,オーストリア‐ハンガリー,ロシア,トルコが集まり会議が開かれた。この結果,セルビア,モンテネグロ,ルーマニアが独立し,ブルガリアは自治国として引き続きオスマン帝国の支配下に属することとなった。この会議でロシアはわずかにベッサラビアとアナトリアの一部を得ただけであるのに反し,イギリスはキプロス島,オーストリア‐ハンガリーはボスニア・ヘルツェゴヴィナを得,ロシア,オーストリア,ドイツはかつての三帝同盟関係から一挙に対立関係に発展するに至った。・〔1884~85〕ベルリン・コンゴ会議ともいう。ビスマルクの提唱で1884年11月から翌85年2月までベルリンで開催された欧米列強14カ国によるアフリカ分割に関する国際会議。コンゴ盆地の自由貿易と中立化,コンゴ川およびニジェール川航行の自由,奴隷貿易禁止宣言,アフリカ大陸沿岸部の新規併合に関する原則の制定,ベルギー国王の私的組織であるコンゴ国際協会のコンゴ盆地統治権承認などを主な内容とし,各国の既得権益の調整を図った。同会議後,列強によるアフリカ分割は一層加速化した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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