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仇教運動(きゅうきょううんどう)

清末,1860年天津条約の批准によってキリスト教の内地伝道が開始されてから,中国の各地で継続されたキリスト教排斥運動。清朝は雍正(ようせい)帝の即位以来キリスト教厳禁の方針をとっていたが,アヘン戦争後フランスの要求によって中国人のキリスト教信仰の自由を認め,58年天津条約で,外人宣教師の内地伝道を認めた。これ以前からフランスのカトリック宣教師は,四川,貴州,江西などに不法潜入して布教に従事し,数万の教徒を擁していた。布教の公認によって多数の宣教師が加わり,戦勝国の勢威を背景にして活動を開始したため,まずこれらの地方の地方官や郷紳(きょうしん)が教会を敵視し,彼らの指導する軍隊や武装した団練あるいは一般民衆によって,61~65年間に貴州省貴陽,江西省南昌,湖南省衡州(こうしゅう),四川省酉陽(ゆうよう)などで宣教師の殺害や駆逐,教徒の迫害事件があいついで起こった。一方,湖南から出たキリスト教排斥の文書が全国に流布されて,仇教運動を煽(あお)ったため,70年の天津教案,74~76年の四川各地の教会弾圧事件,86年の重慶の教会攻撃,91年の長江流域各地の教会攻撃,四川大足県を中心とする教会攻撃,98年に始まる山東の外国人および教会攻撃などのほか,全国各地で大小300件以上の迫害事件があいついだ。排斥の原因はキリスト教についての無理解にもあるが,根本は伝統文化へのこだわりであり,また外国の中国侵略に対する抵抗運動にほかならなかった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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