ムハンマド・アリー
1769~1849(在位1805~48) ムハンマド・アリー朝の初代君主(形式上はオスマン帝国のエジプト総督)。マケドニア生まれのアルバニア人で,1801年ナポレオンのエジプト遠征軍と戦うオスマン軍部隊の一員としてエジプトに渡った。フランス軍撤退後の混乱のなか,政敵を排除してエジプト総督となり,在地のマムルーク勢力をも一掃。以後は富国強兵,殖産興業を進めてスーダンを征服した。31年にシリアに進出してオスマン帝国に大勝,東アラブ世界の大半を獲得する。さらに39年,自立をめざして再びアナトリアに侵攻しオスマン軍を撃破したが,東地中海の軍事バランス崩壊を恐れる列強の圧力を受けて,エジプト,スーダン以外の地からは撤退した。41年エジプト総督位の世襲を認められたものの,晩年は精神病に冒されて引退した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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