ムガル帝国(ムガルていこく)
Mughal Empire 1526~40,1555~1858 1526年,パーニーパットの戦いで,バーブル率いる軍団がローディー朝軍を倒し創始した。第2代皇帝フマーユーンは,アフガン系のシェール・シャーに追われ一時帝国は崩壊したが,サファヴィー朝ペルシア軍の助けを借り立ち直った。16世紀後半の第3代アクバルの時代に北インド全域を平定し,17世紀にかけて繁栄した。皇帝支配を支える軍人,官僚はマンサブ(位階)を与えられ,マンサブダールと称した。その上層が貴族層で,中央アジア出身のトルコ(トゥラン)系,イラン系,インド系およびその他からなっていた。ムガル軍団の主力は皇帝直属兵とこれら貴族層が率いる騎兵からなり,ムガル皇帝に臣従したインド在来のラージプートの諸王が率いる騎兵が最強であった。ムガルの皇帝は正統イスラームに属すと称していたが,貴族層のなかにはイラン系のシーア派ほか,ヒンドゥー教徒も数多くいた。帝国各地方の大領主(ザミンダール),地主が中間層をなしており,ムガル支配以前から在地支配を続けていた。ムガル時代は綿織物などの手工業生産がめざましく,ヨーロッパ諸国との貿易も盛んでインド全域で活動する大商人が台頭していた。帝国支配は18世紀に入り急速に衰えた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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