1853年1月,ロシア皇帝ニコライ1世はイギリスにオスマン帝国の解体を提議したが,このときトルコを「瀕死の病人」になぞらえた。19世紀に入ってオスマン帝国の衰退が顕著となり,その支配下の諸民族の独立運動と列強の利害が交錯して東方問題が重要な国際問題となった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう
この記事が気に入ったらいいね!しよう