東西ドイツ統一(とうざいドイツとういつ)
1990年10月3日,東西ドイツが統一された。49年に成立した分断国家の一方の東ドイツが,他方の西ドイツに編入される形での国家統一であった。80年代,東ドイツの社会主義統一党(SED)の指導部は,社会主義経済を行き詰まらせたうえ,ソ連のゴルバチョフが唱え,ソ連,東欧諸国で進められていた民主化に逆行し,政治的抑圧を強化した。これに抗議する市民が,89年11月,国境の開放を実現した(「ベルリンの壁」の崩壊)。しかし,東ドイツはこれ以降,他の社会主義諸国と同様の体制改革へと進まず,西ドイツの首相コールが掲げた通貨同盟に強く牽引されて国家統一へと向かった。90年5月,通貨条約の締結をへて東西マルクの交換が実現した。続いて8月,東ドイツ内に創設された新5州の西ドイツ編入を定める統一条約が結ばれた。対外的には,ドイツ占領にあたった英米仏ソの4カ国,とりわけソ連の同意が重視され,統一ドイツの北大西洋条約機構(NATO)帰属も承認された。また,東西陣営全体も欧州安全保障協力会議(CSCE)を軸に相互間協調の制度化を進めることになった。統一後は,市場経済の急速な導入によって崩壊した旧東ドイツ地域の再建が長期的な課題となって残った。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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