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  2. 自分自身の幸福でない何か他の目的に精神を集中する者のみが、幸福なのだ。他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、何か他のものを目標としているうちに、副産物として幸福がえられる。

自分自身の幸福でない何か他の目的に精神を集中する者のみが、幸福なのだ。他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、何か他のものを目標としているうちに、副産物として幸福がえられる。

イギリスの哲学者 J.S.ミル 『自伝』

高名な学者を父にもち、みずからも幼少時より天才と言われる知性の持ち主だったミルは、青春時代に生きる目標を見失い、精神的に鬱々とした暗い日々を送った。そこから自己を新生させる体験をとおして、ミルは何か有益な目標をもち、それに夢中で打ち込んでいる時に、副産物的に幸福を味わえることを身をもって知った。あることにわき目もふらずに懸命になって、忙しさに我を忘れていても、後で振り返ると、その時の手ごたえや充実感を感じることがある。幸運は外から偶然にやってくるが、幸福はみずからの充実した生き方から醸し出されるものである。我われの周囲にも「いい顔」をして日々の生活に、仕事に励む人がいる。そんな顔に幸福が副産物として伴う。詩人の吉野弘は『虹の足』で、我われの住む所に幸福の虹がそっと足を下ろし、我われはその虹の中にいるのだが、それは離れた人からは見えるが、虹の中にいる我われには見えない、と語っている。人として日常の中で生きること、それは幸福の虹の中で生きていることなのだ。我われには、はたしてその虹が見えているだろうか?

もういちど読む山川哲学 ことばと用語、45ページ、2015年、山川出版社

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