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「ぼくは死ぬまでアナトリアを離れない」。西アジア考古学一筋の大村幸弘さんと人気漫画家・篠原千絵さんが挑む、ヒッタイト王国の謎

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ヒッタイトを舞台にした人気漫画、『天は赤い河のほとり』の著者・篠原千絵さんが、考古学者・大村幸弘アナトリア考古学研究所長に質問しながら、ヒッタイト帝国の謎に迫るーー。山川出版社から刊行された『ヒッタイトに魅せられて: 考古学者に漫画家が質問!!』(大村 幸弘・篠原千絵)は、予約が殺到したことから発売前の重版が決定するヒット作となった。このストーリーでは、著者の二人が出版の経緯やエピソードについて振り返る。(山川出版社編集部)



ヒッタイトに魅せられて: 考古学者に漫画家が質問!!

篠原千絵さんとヒッタイトとの出会い。「私、ここ知ってる」という不思議な感覚

篠原千絵さんは、1981年に『紅い伝説』で漫画家デビューした。2000年に『天(そら)は赤い河のほとり』で小学館漫画賞少女向け部門を2度目の受賞。同作は紀元前14世紀のヒッタイト帝国を舞台にした歴史ロマンス漫画だ。

篠原さんに、『天(そら)は赤い河のほとり』誕生の経緯と、尊敬する大村幸弘先生との対談本の出版の裏側を語ってもらった

きっかけはトルコ旅行だった

私がヒッタイトに興味を持ったきっかけは、トルコ旅行でした。私が少女漫画を描きはじめて、やっとそろそろ自分の働いたお金で海外旅行に行けるかなという時期がありまして、そのときに選んだ旅行先がトルコだったのです。

じつは最初に興味をもったのは、トルコではなく、イランでした。 きっかけはNHKの特集番組で、おそらく「未来への遺産」だったと思います。 その後、「シルクロード」を見て、イスファハンやゾロアスター教の聖地ヤズドなどに惹かれて、イランへの興味が決定的になりました。「 いつか、この地に行ってみたい」と思いました。 しかし、やっとイランに行けると思った矢先、イラン・イラク戦争がどんどん激しくなってしまって。

1985年にはテヘランの日本人救出(※)などもあって、とてもイラン旅行に行ける状況じゃなくなってしまったんです。それで翌年、残念ですけどイランはあきらめて、なるべくイランに近くて、同じイスラム圏だし雰囲気が似ているんじゃないかしらと思って、結果的に選んだのがトルコなんです。(篠原千絵)

※イラン・イラク戦争の際、テヘランに取り残された日本人215名がトルコ航空機によって救出された事件

ハットゥシャ遺跡での不思議なデジャヴ感

アンカラからカッパドキアに行く途中で、ほんの短時間ですが、ハットゥシャに立ち寄りました。ハットゥシャの遺跡にいたのは、せいぜい一時間ほどだったと思いますが、すごいインパクトでした。 いまは荒涼とした灌木地帯だけど、大昔は森や水源がもっとあったんだろうか、とか、いろんな疑問や想像が湧き起こりました。 そんなことを思いながら遺跡を眺めていて、あまりにも何も残っていないことが魅力的で―想像の余地がありすぎるといいますか―、「この光景にたどりつく、この場所の物語を描きたい」と思いました。 連載の最終回の最終シーンはこの光景。その絵だけが決まっていてはじめた漫画でした。

その遺跡との出会いから連載開始まで八年間あったので、ヒッタイトに関する様々な本、もちろん大村先生が書かれて、講談社ノンフィクション賞を受賞された『鉄を生みだした帝国』などを読んだり、トルコ展などに行ったりして、少しずつ形ができていきました。

私がヒッタイトを描きたいって思ったのは、ハットゥシャの遺跡を見たこともそうですけど、長距離バスの車窓から見た中央アナトリアの風景のイメージもあるんです。カイセリからディヤルバクルの間だったかな、ひたすら続くまっすぐな道を走っていると、三六〇度見渡すかぎりが丘陵地帯で、一面が小麦畑なんですね。その景色を見たとき、どこか懐かしいような、はじめて訪れた異国の風景のはずなのに「私、ここ知ってる!」という不思議な感覚がありました。 トルコで感じたのは、どこかで自分と繋がっているというようなデジャヴ感で……。もちろん、それは私の思い込みでしょうが(笑)。

でもそれが長編作品の原動力には、間違いなくなったと思います。

大村先生にはじめてお目にかかったのは、私が『天(そら)は赤い河のほとり』を連載していたころですから、もう二〇年ほど前になるでしょうか。先生が発掘をされている、トルコのカマン・カレホユック遺跡にも一度伺いました。また、日本で先生が講演をされたりする機会はいつもチェックしていて、できる限り出席して勉強させていただいています。

今回、私が尊敬している大村先生と対談できるということで、貴重なお話を独り占めできて本当に嬉しく思いました。ただ先生のなさっていることのすごさを私がきちんと読者の方々に伝えられるか、ちょっと緊張もしました。

本書では対談というかたちで、ヒッタイトのことや鉄の起源のお話だけでなく、大村先生が続けられてきたアナトリアでの発掘や研究についてもたくさん伺うことができました。(篠原千絵)

大村所長による執筆後記。篠原さんと共有した、「懐かしい」感覚

大村幸弘さんは、日本を代表する考古学者で、中近東文化センター主任研究員、アナトリア考古学研究所長だ。大村所長に今回の出版に至る経緯を振り返ってもらった。

アナトリアの遺跡に感じた、じっくり腰を落ち着けられる感覚

私は1970年代の初頭にトルコのアンカラ大学へ給費留学生として渡りました。その頃、エジプトでの発掘に誘われて参加しました。遺跡は古代エジプト王国の都、テーベ(現在名ルクソール)。時間さえあれば、「王家の谷」、「王妃の谷」、「ハトシェプスト葬祭殿」、「貴族の墓」、「メディネットハブ神殿」、「ルクソール神殿」、「カルナック神殿」などをくまなく見てまわりました。時折、ロバに乗ってまわったこともありました。

エジプトからトルコのアナトリア高原へ戻ったのは、二月末から三月の初旬でした。カイロを発ち、イスラエルを右手に見ながらトルコのアナトリアに帰りました。乾燥したエジプトからアナトリアに戻ると、そこはまだ銀世界に包まれており、その中で発掘シーズンが始まるのを待ち続けたものです。

最初にエジプトの遺跡を見たとき、色彩があり華やかな印象を受けました。それに対して、アナトリアの遺跡は無色で地味な感じがしました。エジプトの遺跡は地中に埋もれているものも沢山ありますが、神殿、ピラミッド、スフィンクスのように地上に露出したままのものもあり、それが目に焼き付いたためかもしれません。それに対して、アナトリアの遺跡はホユック、テペと呼ばれる丘状のものがあり、発掘を行って初めて見えてくるものが多いのです。エジプトの遺跡は、いずれも大きく見えて入り込めないような気が私にはしました。そういう意味ではアナトリアの丘状の比較的小ぶりな遺跡は、私にとって身近に感じた。そしてじっくり腰を落ち着けて遺跡に関われるのではないかと思いました。

アナトリアの遺跡に対して無色という言葉を当てはめましたが、それはヒッタイト帝国の都、ハットゥシャを初めて尋ねた時に抱いた印象であり、それは今もまったくもって変わりませんし、アナトリアの他の遺跡にもいえます。真夏にハットゥシャを訪ねると、神殿などの礎石は強い陽光の下で白く見えるのみで、礎石が大きな石で築かれていることがわかるぐらいで、いくら時間をかけて眺めていても、遺跡はあまり応えてくれません。現在、発掘を行っている遺跡でも多くの遺物、建築遺構が見つかっているものの、何一つ語ることなく、じっとしていることの方が多いのです。 (大村幸弘)

遺物が話しかけてくる。その感覚が、篠原さんのアナトリア体験と通じるのかもしれない

そんな世界に篠原千絵さんが、偶然に入ったというのです。アナトリアを初めてご覧になった時の印象を「どこか懐かしい」と表現されていますが、その時点で篠原さん自身がアナトリアと語りあっていたのではないかと思います。私には無色にしか見えなかったヒッタイトの都に対して篠原さんが懐かしい気持ちを抱いたのは、遺跡の方から、そしてアナトリアから、篠原さんに話しかけてきたのかもしれません。それは、篠原さんが何かを求めていたからこそ、ハットゥシャが、そしてクズルウルマックが応えてくれたのではないでしょうか。その瞬間こそが出会いというものなのかもしれません。

発掘調査をアナトリアで行っていると、たまにではありますが、遺物の方から私に話しかけてくれる瞬間があります。篠原さんがアナトリアで「懐かしい」と感じた瞬間と、どこか相通じるところがあるのかもしれません。

篠原さんと対談をさせていただきながら、私自身の勉強不足を強く感じました。篠原さんからの「なぜヒッタイトは山中に都市を築いたのか」という疑問に真面(まおもて)に答えることができなかったし、その他にも多々返答に詰まったことがありました。それにも関わらず篠原さんが対談に応じてくださったことに対して、心から厚くお礼を述べたいと思います。アナトリアで発掘だけを行ってきた私が、対談の相手として相応しかったのかいまだに疑問に思っているものの、恥を顧みずすべてを語ったつもりです。あとは読者にお任せしたいと思います。

一〇代の時に東京の青山通りに面した古本屋で手にした一冊の本がきっかけで、私はヒッタイトの世界に入り今に至っています。もし、あのとき、あの古本屋の入り口のそばの棚でツェーラムの『狭い谷、黒い山』(みすず書房)を手にしなかったら、今の自分はどうなっていただろうかと思うときがあります。と同時に、青山通りからアナトリアの山中のヒッタイト帝国まですでに道は描かれており、それに沿って私はただ歩み続けてきただけではないでしょうか。ふとアナトリアから日本を振り返ると、そう感じることがしばしばあります。篠原さんに、「もしヒッタイト帝国の都、ハットゥシャを訪ねていなかったらアナトリアは遠い世界で終わったのだろうでしょうか。それともやはり偶然に訪ねたハットゥシャは運命的な出会いだったのでしょうか」、と対談中にたずねてみたかったと思います。 (大村幸弘)

『ヒッタイトに魅せられて 考古学者に漫画家が質問!!』

漫画・イラスト/©篠原千絵

書名:ヒッタイトに魅せられて 考古学者に漫画家が質問!!

価格:1,980円 (税込)

解説:西アジア考古学のパイオニアの一人で、トルコのカマン・カレホユック遺跡を40年近く掘り下げ、日本人の手による初めての「文化編年」(歴史のものさし)構築を目指す大村幸弘アナトリア考古学研究所所長。近年では世界最古の鉄と考えられる鉄塊を発見し、世界の鉄の歴史の常識を覆すかもしれない大発見ともいわれている。大村所長はなぜ考古学の道に入り、遠いトルコの大地へ向かったのか……。

トルコでヒッタイトの遺跡に出会い、歴史系長編少女漫画の傑作として読み継がれる名作『天は赤い河のほとり』を生み出した漫画家の篠原千絵さんが今回は読者の「代表質問者」として、大村所長の半生だけでなく、研究対象であるヒッタイト帝国や「ヒッタイトと鉄」の謎、ミタンニ王国の謎にせまっていく。

ISBN:978-4-634-15190-1

著者:大村幸弘=著  篠原千絵=著 刊行:2022年11月

仕様:A5  ・  口絵8+288ページ

プロフィール

大村幸弘(おおむら・さちひろ)
岩手県生まれ。1972年以来、トルコ各地の発掘調査に参加。現在、アナトリア考古学研究所所長。著書・訳書に『鉄を生み出した帝国ーーヒッタイト発掘』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『アナトリア発掘記ーーカマン・カレホユック遺跡の二十年』、『ヒッタイト王国の発見』、『トロイアの真実ーーアナトリアの発掘現場からのシュリーマンの実像を踏査する』など。
篠原千絵(しのはら・ちえ)
神奈川県生まれ。1981年に『赤い伝説』で漫画家としてデビュー。『闇のパープル・アイ』、『天は赤い河のほとりで』で小学館漫画賞受賞。ほかに『海の闇、月の影』、『青の封印』、『夢の雫、黄金の鳥籠』など

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