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  2. 心を観るとは、自分の心を観察して、その中に本来そなわっている仏の世界から地獄の世界までの十の世界を見つめることである。

心を観るとは、自分の心を観察して、その中に本来そなわっている仏の世界から地獄の世界までの十の世界を見つめることである。

鎌倉時代 日蓮宗の開祖 日蓮『観心本尊抄』

仏の世界や地獄はどこにあるのか? 日蓮は、それらがおのれの心の中にあることを観よと説く。心に愛に満ちれば、菩薩の愛の世界が生まれる。憎悪の心で他人を見れば、他人も憎悪で見返し、人があい争う修羅の世界が出現する。心が真実に目覚めれば、世界は煩悩(執着心)の荒波を越えて、仏の悟った真実の姿をあらわす。心しだいで世界の見え方が変わってくる、いや、実際に世界そのものが変わってくる。現代の脳科学や心理学でも、物事をポジティブに考える人は、脳の働きが活性化してものごとのよい面に気づき、ネガティブに考える人は否定的な面しか見ないとされる。まわりにみずから地獄や絶望の世界をつくりだしてないか、おのれの心を振り返ってみよう。

もういちど読む山川哲学 ことばと用語、78ページ、2015年、山川出版社

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