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4コマで「黒船が日本に来た理由」

なぜ、ペリーは遥か遠くのアメリカからはるばる日本まで開国を迫りに来たのか。ペリー来航から開国までを4コマで振り返ります。

4コマで「黒船が日本に来た理由」

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ペリー

1794.4.10〜1858.3.4
アメリカの海軍軍人。米国初の蒸気軍艦を建造して「蒸気船海軍の父」とよばれる。1852年東インド艦隊司令長官となり,遣日特使として53年(嘉永6)6月,軍艦4隻を率いて浦賀に来航。蒸気艦の来航は鎖国体制に大きな衝撃を与えた。久里浜で修好通商を求めるフィルモア大統領親書を伝達し,再来を表明して退去。翌年1月,軍艦7隻を率いて再渡来,江戸湾深く航行して幕府に圧力をかけた。ペリーの要求により横浜応接所で開かれた日米会談では幕府の譲歩をかちとり,日米和親条約の締結に成功。帰途,那覇で琉球と修好条約を締結。帰国後「日本遠征記」を監修。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、882ページ、2016年、山川出版社

産業革命

機械の発明と応用を起点に,大衆消費財生産部門の機械制工場生産化が中軸となって,資本・賃労働関係が全経済の基軸をなすに至る過程。まずイギリスで綿紡績業を中軸に1760〜1830年代に産業革命が進展し,欧米諸国もこれに対抗して産業革命を推し進めた。日本では,幕藩体制下での小商品生産の一定の成熟,開港後の貿易にともなう商品経済の再編,政府による原始的蓄積政策の推進を前提に,1886年(明治19)以降の企業勃興により開始された。輸入紡績機による1万錘規模の綿紡績会社が続出し,輸入綿花を用い,低賃金の若年女子を昼夜2交替制でフルに利用することで,手紡糸やインド綿糸を駆逐し,97年には中国を中心とする綿糸輸出が輸入を上回った。1900年の日清戦後第2次恐慌は,綿紡績業の拡大がひきおこし,大部分の産業部門に波及した最初の本格的資本主義恐慌であった。ただし先進資本主義国の外圧のなかで進展したために,各産業部門間の関連は分断的であり,諸部門の生産形態は重層的であった。なお,生産手段・消費資料の両生産部門の「2部門定置」という観点から,産業革命の終期を日露戦後の07年頃におく説も有力である。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、408ページ、2016年、山川出版社

鎖国

江戸幕府の孤立的な対外関係のあり方。幕府は1633年(寛永10)に始まるいわゆる鎖国令により,日本船の海外渡航の禁止,海外在住の日本人の帰国の禁止,貿易地の制限,ポルトガル人の追放を命じ,長崎でオランダ船・中国船との貿易のみを行う体制を築いた。この政策のおもな目的は,当時全国に広がっていたキリスト教の禁止と宣教師などの国内潜入防止にあり,39年以後は九州を中心とする沿海防備体制が形成された。ただし朝鮮とは府中(対馬)藩を介して国交を結んでおり,琉球も鹿児島藩の支配下にあったから,文字どおり国を閉ざしたわけではない。この点に注目して「海禁」という概念も用いられている。はじめ幕府には鎖国したとの認識はなかったが,19世紀初頭にロシアの貿易要求を拒絶した頃から鎖国が祖法であるという観念が成立し,幕府すら拘束する最重要の体制概念となった。1853年(嘉永6)アメリカ使節ペリーが来航し,その開国要求に屈して鎖国は終わった。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、395ページ、2016年、山川出版社

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