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【歴史の転換期 Vol.5】「中華帝国」の誕生

今回はローマから目を転じ、帝政中国の礎を築いた古代帝国、秦・漢を見ていきましょう。ちなみに、この頃日本は弥生時代。ようやく稲作が始まり、定住生活をいとなむようになった頃で、国家を築くレベルでは到底ない時代です。

中国の特殊性

現在の中国は、広大な領土に13億を超える人々が暮らしています。そのうちの92%が漢族です。これだけ大規模な民族が1つの言語で話し、同じ民族であるという意識を共有しているという状況は、世界のほかの地域には見られません。とはいえ、中国にも、かつては多種多様な民族や言語が存在していました。それが非常に早い段階で統一され同化していったのです。その第1歩がB.C.221年の秦の始皇帝による統一事業です。それを継いだ漢による大帝国の基盤づくりまでの約100年は、アジアにおける歴史の一大転換の波といえるでしょう。

理想的な統一の姿とは?

秦の始皇帝による統一以前の中国は、春秋・戦国時代という名称で知られる各国相争う時代でした。あいつぐ紛争に疲弊した諸侯は、有力諸侯を盟主に据えて同盟を結ぶことで、紛争を回避・調停することにしました。これが「覇者体制」です。現在の世界に例えれば、国際連盟や国際連合をつくった状況に近いでしょう。このような戦国の世では、儒者たちが諸国を経巡り、強い国をつくるにはどうしたらいいか、国を統治するにはどうしたらいいか、といった知恵を諸侯に授けていました。その中の一人、孟子が次のようにいっています。

「この乱れた世界はどこに落ち着くのでしょうか」「統一されて落ち着くことになるだろう」「統一できるのはどんな人でしょうか」「人殺しの嫌いなものが、統一を成し遂げることができよう」

これが孟子の考える理想的な天下統一の姿でした。さて、実際はどうだったでしょう。

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右腕(ブレイン)に支えられる君主

中国の歴史を見ていくと、いつの世にも歴史に残る君主には、右腕となる将軍と同等もしくはそれ以上の優秀なブレインが存在します。三国志の劉備も諸葛孔明がいなければこれほど後世に名を残さなかったでしょう。

秦をとりわけ強国にした人物が商鞅です。天下に人材を募った皇帝の呼びかけに応じ、東方の小国から秦にやってきました。先ほどの儒者たちもそうですし、文人・武人ともに当時は生涯1つの国にとどまるという意識は薄く、自分の力を試すことのできる場所を探し、信任を得る努力を惜しみませんでした。

どのように秦は強国になったか

商鞅は国政の改革を2段階にわけて実施しました。第1段階は治安維持や軍費の調達をめざした改革(詳細は本書を参照ください)で、それは戦乱の世を生き残るための即効薬となりました。

9年後、秦が諸国のなかで強国となると、今度は第2段階として内政の充実に重きをおいた改革を断行します。とくに地域行政に重きをおきました。ローマと同じく、秦も占領した地に拠点となる都市をおき、兵員と軍需物資の供給拠点としました(詳しくは、『【歴史の転換期Vol.2】ローマ帝国は如何にして誕生し、帝国へ向かったのか』をご覧ください)。その拠点を「県」とよび、中央の役人が送り込まれました。さらに、いくつかの県を統括する「郡」がおかれ、広い領土を均質的・合理的に支配するシステム(郡県制)がつくりあげられました。

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共存から征服へ

歴史の転換へとむかう引き金は、時として衝動的に引かれるものです。始皇帝は、諸国のなかで最強の君主となりましたが、相手国が臣従や和親を誓えば、その君主の権限をすべて奪い取ろうとは考えていませんでした。しかし、臣下となる約束をしたのに始皇帝に背く国、盟約を結んだから人質を返したのに反旗を翻した国、自分を暗殺しようとする刺客まで送り込んできた国まで現れました。こうした数々の「裏切り行為」に対する怒り、憤怒の情が積み重なって、始皇帝はついに武力による諸国征服へ、大きく舵を切りました。

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支配の法則

帝国支配の方法は、洋の東西を問わず、秦とローマは非常に似ています。文字・貨幣・度量衡・車軌の幅など、一連の統一政策が実施されました。帝国全土にこれらを広める統一政策は、たんに国政の省力化・合理化に寄与しただけではありません。社会の隅々にまで新しい支配者の到来を知らしめる効果を持っていました。世に君臨する皇帝の権力を示すプロパガンダでもあったわけです。

もう一つ、始皇帝がおこなったプロパガンダがあります。それが巡行です。各地へ巡行し聖なる山を訪れ、神をまつりました。神をまつることは支配者のみに許された聖なる儀式でした。きらびやかな馬車をならべ、整備された道をゆく皇帝の姿は、見る者に支配者を印象づけたことでしょう。

求心力と思想の関係

秦を継いだ漢の皇帝は、功臣たちに推戴され皇帝となりました。当初は、秦の始皇帝ほどすべての権力を掌握しているわけではなく、とりまとめ役だったともいえます。そのため、一時は各地域を諸侯の管轄下においた時期もありましたが、徐々に皇帝への求心力を持ち直し、最終的には中央集権体制を成立させました。



最後に、この求心力を支えた思想について触れましょう。
これが儒教の「上下の別」「華夷の別」という倫理観です。今なら差別的イメージでとらえられるかもしれませんが、当時、身分による上下関係はネガティブにとらえられることはありませんでした。つまり、人間が分相応に振る舞うことが理想の姿だとされました。従って、その頂点に立つ皇帝は、徳を持つことが望まれましたが、人々はあまねく皇帝に従うことが理想的な社会とされました。また、現実問題として北方からの匈奴の脅威にさらされるようになると、にくむべき「夷=匈奴」に対し、守るべきは「華=漢帝国」にほかなりません。このような状況から、様々な違いはあったにせよ、万里の長城のなかに住む我々は「漢人」だ!という共通意識が形成されていったのでした。

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編集部オススメの「こんな本を一緒に読むと面白い」

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2000年にわたる遊牧世界と中華世界のしのぎを削る歴史のはじまりが匈奴との戦いです。冒頓単于を中心に、匈奴の国家形態、性格、そして中華世界との関係を追った1冊です。

シリーズ:歴史の転換期

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