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  2. 私は・・悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生まれてはこないのだ。

私は・・悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生まれてはこないのだ。

文学者・白樺派 志賀直哉 『ナイルの水の一滴』

志賀直哉の絶筆とされる一文である。大きな自然の中で、人間とは小さなものである。でも、志賀はそれでよいという。大きなナイルの流れの一滴、しかしその一滴は私だけのもの、後にも先にも唯一無二のものである。一滴は一滴として、その一滴を全うして生きればよい。そのような一滴が集まり、大きな川の流れができる。その一滴がなければ、流れもできぬ。一滴が自分一人で流れの支配者だの、英雄だの、寵児だのと吹聴するのは、身のほどを知らぬ大口たたきである。志賀の友人、武者小路実篤は「一個の人間は一個の人間でよいではないか」と詩で語っている。誠実で、謙虚に、しかし誇りをもってナイルの一滴を生きぬこうではないか。

もういちど読む山川哲学 ことばと用語、20ページ、2015年、山川出版社

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