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誰もが他者であって、誰ひとり自分自身ではない・・そのようなただの『ひと』に自分を引き渡してしまっている。

ドイツの哲学者 ハイデッガー 『存在と時間』

誰もと同じように振る舞い、誰もが考えるように考え、人に流されていると楽である。自分が責任をとらなくてすむからである。しかし、誰もが他人と同じようにふるまえば、そこに行動を決断した主体が消滅し、蒸発し、我われは誰もと同じであって、結局誰でもない、のっぺら坊主の、ただの「ひと」になってしまう。太平洋戦争の責任は誰にあるか、誰も名乗りをあげず、責任の所在があいまいなままになる日本人の無責任体質を指摘したのは、政治学者の丸山真男の『超国家主義の論理と心理』である。「みんながそちらに動いている、今さら異論を唱えるわけにはいかない」、今の日本の組織にも、このようなただの「ひと」が紛れこんでいるのではないか?

もういちど読む山川哲学 ことばと用語、54ページ、2015年、山川出版社

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