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  2. 仏道を習うとは、自己を習うことである。自己を習うとは、自己を忘れることである。自己を忘れるとは、自己がすべての存在に証されることである。

仏道を習うとは、自己を習うことである。自己を習うとは、自己を忘れることである。自己を忘れるとは、自己がすべての存在に証されることである。

鎌倉時代 曹洞宗の開祖 道元 『正法眼蔵』

自分自身について考えることは大切だが、自分の中に引きこもり、自分の思いの中を堂々巡りしていると、逆に自分という狭い檻に閉じ込められて、ものごとが見えなくなってしまう。道元は自分を習うことは、いったん自分を忘れることであると説く。自分へのこだわりを捨てて無心になり、自分を広い世界にゆだねてみる時、はじめてその自分を根底から支え、生かしてくれている命の世界に出合うことができる。道元はそれを仏の命と呼ぶ。「鳥が空を出ればたちまち死に、魚が水を出ればたちまち死ぬ、空が命であり、水が命である」と道元は語る。世界という広々とした空間の中に我われは生かされており、命はこの世界のすみずみにまで広がっている。我われはこの広い世界の命を自分の命として生きており、命をもらって生きていることそのものに重みがある。悩みの中でもがき苦しんでいる時、青い空を仰いで深呼吸してみよう、広い海を眺めて無心になってみよう。そこにおのれを生かす広々とした仏の命の世界が見えるかもしれない。

もういちど読む山川哲学 ことばと用語、16ページ、2015年、山川出版社

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