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水と一切れの何もつけないパンさえあれば満足だ。

ヘレニズム時代の哲学者 エピクロス

エピクロスは、快楽を人生の目的とした快楽主義を説いた。エピクロスの徒をあらわすエピキュリアンが、快楽主義者を意味する由縁である。しかし、その快楽とは限りない富や名声を求めることではなく、質素な生活の中で、身体の健康と魂の平静さ(アタラクシア)を味わうことであった。商品が氾濫する現代社会で、金銭と贅沢を強迫的に追い求める現代人の生活には、精神的な疲れが伴う。サマセット=モームの短編『エドワード=バーナードの転落』には、アメリカの大都会の生活を捨て、南太平洋の島で夕日にきらめく海の景色、満天の星空の下で質素だが満ち足りて暮らす男の生き様が描かれている。彼は「たとえ全世界を得たとしても、己の魂を失っては何にもならないからね。」と言い、ここで自分は魂を取り戻したと語る。毎日、当たり前のように「行ってきます」といって出勤する時、朝の青い空を仰ぐ時、仕事が終わって家路へとむかう時、我が家でほっと一息、ささやかな一杯を味わう時、魂の満足はどこにでも見出せよう。おのれの満ち足りた魂をどこに見出すかは、自分しだいである。

もういちど読む山川哲学 ことばと用語、70ページ、2015年、山川出版社

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