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  4. 雪舟が自然を描いたのでもよし、自然が雪舟を通じて自己を描いたのでもよい・・・天地同根万物一体である。

雪舟が自然を描いたのでもよし、自然が雪舟を通じて自己を描いたのでもよい・・・天地同根万物一体である。

哲学者 西田幾多郎 『善の研究』

自分と世界を結びつける哲学をしてみよう。西田幾多郎は、自我と世界が一体となった境地を純粋経験とよぶ。それは例えば「私」が「鐘」の音を聞くという主語―述語の枠組みではなく、「私」を世界に無限に広がる「場所」ととらえて、その場所でただ「鐘」が鳴り響く事実のみがあるという境地である。人間が真善美の世界を創造することは、世界がそのような「場所」としての人間を通して真善美を生み出すことでもある。西田はそれを物となって見、物となって働く境地であると語る。雪舟は室町期の水墨画の大成者である。名人はいっさいのはからい、思いつき、工夫を捨て去り、おのれを無にして芸そのものと一体となる。おのれを消磨しつくした末に、そこに芸そのものの世界が働き始める。純粋経験とは、そのような無心になり切ったおのれを通して、この世界が真理や善や美を生み出す境地に生きることである。中島敦の『名人伝』に登場する弓の名人は、無心になって弓の道を極め尽くした果てに、最後に目の前にある弓が何であるかさえも忘れてしまう。そこまでのレベルに達して無心に仕事ができれば、たいしたものである。

もういちど読む山川哲学 ことばと用語、9ページ、2015年、山川出版社

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