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4コマで「元号」〜新元号「令和」記念〜

「平成」が幕を閉じ、日本最古の歌集「万葉集」を出典とした新しい元号「令和」が今日からスタートしました。でも、そもそも元号とは何でしょうか?4コマで解説します。

4コマで「元号」

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元号

年号とも。紀年法の一形態。紀元前140年に前漢の武帝によって立てられた建元(けんげん)に始まる。日本では645年の大化(たいか)が最初の元号である。その後断絶があったが,701年の大宝(たいほう)以後は連続して,現在の平成に至る。明治改元以後は一世一元の制が定められ,践祚にともなう改元に限定されたが,それ以前は,祥瑞(しょうずい)・災異・三革(辛酉(しんゆう)・甲子(かっし)・戊辰(ぼしん)の年)などさまざまな理由で頻繁に改元された。改元の手続きとしては,紀伝道から提出された複数の候補をもとに,大臣・参議らが陣の座において新元号を決定,天皇により改元詔書が公布されるのを常とした。1868年(慶応4)の明治改元の際,一世一元が定められるとともに,これら改元手続きは大幅に簡略化され,皇室典範(明治22年発布),登極令(明治42年公布)の制定をへて制度的完成をみた。しかし戦後,新たに定められた憲法・皇室典範には,元号に関する条項が設けられず,その法的根拠は失われた。このため1979年(昭和54)に元号法が制定され,元号制定に関する権限は内閣に属することとなった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

改元

元号を改めること。改元の理由には大きくわけて代始(だいはじめ)・祥瑞(しょうずい)・災異・革年の四つがある。代始改元は天皇の践祚(せんそ)(即位)に伴う改元で,践祚の翌年に改元する踰年(ゆねん)改元が原則であった。祥瑞改元は珍しい自然現象や動植物などの出現による改元で,奈良時代に多い。災異改元は彗星・地震・旱魃・洪水・飢饉・疫病・火災・兵乱などの天変地異や人災による改元。革年改元は辛酉(しんゆう)・甲子(かっし)の年には変乱が多いとする辛酉革命・甲子革令(かくれい)説にもとづく改元。そのほか,平安時代には陰陽思想で厄年にあたる年の改元もあった。改元は本来天皇の権限であったが,室町時代以降には武家政権の発議・主導による改元が多くなった。明治改元の際に一世一元の制度が採用され,以後,改元は天皇の代始に限られている。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

万葉集

現存最古の歌集。20巻。長歌264首,旋頭歌(せどうか)63首,仏足石歌体歌1首と短歌4208首,計4536首の歌と,漢詩4首,文章1編ほかを収める。全巻に統一的な編集原理はみられず,数次の段階的成立が推測される。当初50首ほどの小歌巻を中心に増補し,雑歌・相聞(そうもん)・挽歌の分類を加えた現存巻1・2の原型が文武朝前後に成立。それにならって巻16までが天平末頃まで順次増補され,大伴家持(おおとものやかもち)の歌日記的歌巻が加えられて,宝亀年間か延暦初年に全巻がなったとみられる。最終的な編纂に家持がかかわったのは疑いないが,詳細はなお不明。表記法も巻によって異なるが,漢字のみによって記されているため,訓み方が早く忘れられ,951年(天暦5)「梨壺(なしつぼ)の五人」による加点(古点)が始まる。その後順次加点され(次点),鎌倉時代の仙覚(せんがく)によって全歌に訓が付された(新点)。全巻のそろった現存の写本はすべて仙覚の校訂をへたものである。雄略天皇や聖徳太子作とされる伝承歌を除けば,万葉の歴史は舒明朝に始まり,壬申の乱(672)までを第1期(初期万葉)とする。以後柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)によって歌を記しながら作ることが始まり,形式・抒情とも大きく発達した第2期(平城遷都,710年まで),山上憶良(やまのうえのおくら)・大伴旅人(たびと)・山部赤人(やまべのあかひと)らによって継承・発展された第3期(憶良の没した733年まで),家持らによる繊細・技巧的な歌の多い第4期(最終歌,759年まで)にわけるのがふつう。庶民の歌も多いが,基本的に,漢詩文に対抗しうる文芸として,古代貴族に享受された歌集とみるべきである。「新日本古典文学大系」「新編日本古典文学全集」所収。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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