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4コマで関ケ原の戰〜すぐわかる戦国時代シリーズ〜

全国を統一し、太閤検地と刀狩によって兵農分離を完成させ、近世社会の基礎を築いた豊臣秀吉。その秀吉が死からわずか2年で関ヶ原の戦は起きました。天下分け目の戦ともいわれる関ヶ原の戦はなぜおきたのか?4コマで振り返ります。

4コマで関ヶ原の戰

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関連用語

関ケ原の戦(せきがはらのたたかい)

1600年(慶長5)9月15日,美濃国関ケ原(現,岐阜県関ケ原町)でおきた豊臣政権の主導権を争う戦。秀吉没後の豊臣政権は,五大老・五奉行による政務代行体制をとったが,しだいに五大老筆頭の徳川家康が政務を掌握した。
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徳川家康(とくがわいえやす)

生没 1542.12.26~1616.4.17 江戸幕府初代将軍(在職1603.2.12~05.4.16)。三河国岡崎城主松平広忠の長男。母は同刈谷城主水野忠政の女(於大(おだい)の方)。岡崎生れ。幼名竹千代,通称次郎三郎,諱は元信・元康・家康と改称。法号安国院。
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石田三成(いしだみつなり)

生没 1560~1600.10.1 織豊期の武将。父は正継。近江国石田村生れ。早くから豊臣秀吉に仕え,秀吉の奉行として活躍。1586年(天正14)堺政所(まんどころ)を勤め,小田原攻め・朝鮮出兵などに功があった。
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五大老(ごたいろう)

豊臣政権末期の職制で,五奉行の上位。徳川家康・前田利家(のち同利長)・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元の5人の有力大名をいう。

五奉行(ごぶぎょう)

豊臣政権末期の職制。前田玄以・浅野長政・増田(ました)長盛・石田三成・長束(なつか)正家の5人をいう。

上杉景勝(うえすぎかげかつ)

生没 1555.11.27~1623.3.20 織豊期~江戸初期の武将・大名。初名顕景。越後国春日山城(現,新潟県上越市)城主,出羽国米沢藩主。

小早川秀秋(こばやかわひであき)

生没 1582~1602.10.18 織豊期の武将。木下家定の五男。幼少時に叔父豊臣秀吉の養子となり,丹波国亀山城主10万石。

織田信長(おだのぶなが)

生没 1534.5.12/28~82.6.2 戦国期~織豊期の武将。父は信秀。幼名吉法師。1546年(天文15)元服。信秀没後,本家の清須(洲)(きよす)・岩倉両織田家を滅ぼし尾張を統一。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし):日本史小辞典

生没 1537.2.6~98.8.18 織豊期の天下を統一した武将。尾張国愛智郡中村生れ。百姓弥右衛門の子。母はなか(天瑞院)。尾張を出,松下之綱に仕えた後,織田信長に仕える。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし):世界史小辞典

1537~98 日本の安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。織田信長に仕え,頭角を現す。本能寺の変に接し,明智光秀を討ち,続いて柴田勝家を破って信長の後継者となる。
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江戸幕府(えどばくふ)

徳川将軍家を最高権力者として,江戸に存在した武家による全国支配政権。1603年(慶長8)の徳川家康の征夷大将軍職任命に始まり,1867年(慶応3)の徳川慶喜(よしのぶ)の大政奉還までの265年間,将軍は15代続いた。
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