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平城京(へいじょうきょう)

「へいぜいきょう」とも。710年(和銅3)から784年(延暦3)まで現在の奈良市に存続した都城。元明天皇の708年2月には遷都の方針が明確に示され,709年12月に行幸し,翌年3月正式に遷都が宣せられた。以後8代の天皇の治世にわたって都となる。原型となった藤原京の存在も無視できないが,規模や存続期間の長さの点から日本初の本格的都城であった。規模は東西4.3km,南北4.8kmの長方形を基本とし,その東部に2条から5条まで計12坊分の外京が付属,西半の右京北端には半坊分の「北辺坊」が存在したと考えられる。面積はモデルとなった唐の長安城とくらべると3分の1程度でしかないが,藤原京の3倍にもなった。京に施行された条坊制の基本単位となった坊は,1800尺(約533m)四方とし,坊を囲む街路の中心間の距離を一定に保つ点で,平安京とは原理を異にする。坊はその内部が16の坪に分割され,さらに坪は平安京の四行八門(しごうはちもん)制に共通する東西に細長い地割が施され,庶民の宅地の基本になったとみられる。平城京は官人をはじめ律令国家とかかわりの深い人々の宅地を設ける場であったが,国家としての威厳を示す儀式的な性格も備えていた。京中央を南北に走る朱雀(すざく)大路(大路跡は国史跡)は両側溝の中心間の幅で72m,その両側には築地の坊垣が続き,大路の南端には羅城(らじょう)門が構えられた。こうした唐の長安をほうふつとさせる景観は,日本の古代国家が大宝律令を制定し,強力な中央集権国家体制を築いたことと密接に関連していた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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