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平治の乱(へいじのらん)

平安末期の1159年(平治元)12月京都でおこった内乱。56年(保元元)の保元の乱後,後白河上皇の近臣間では藤原通憲(信西(しんぜい))と藤原信頼の対立が深まっていた。58年二条天皇が即位すると,天皇親政をもくろむ藤原経宗・同惟方(これかた)が勢力をのばし,これに武士の平清盛・源義朝の対立が絡んだ。信西は畿内を中心に西国を基盤とする清盛と結び,その武力を背景に朝廷の実権を握った。これに対し信頼は天皇親政派や義朝と結び,清盛の熊野詣のすきをついて挙兵。信西を殺し上皇を幽閉して,一時京都を支配した。しかし清盛が帰京すると,親政派の寝返りにより天皇は清盛の六波羅邸に迎えられ,上皇も仁和寺に逃亡,戦は清盛方の勝利に終わった。義朝は東国へ逃走中部下に討たれ,嫡子頼朝は捕えられ伊豆に配流。信頼は斬首された。その後,後白河上皇のもとで朝廷は安定したかにみえたが,清盛を頂点とする平氏一門が勢力をのばし,武士の時代に転換した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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