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平氏政権(へいしせいけん)

六波羅(ろくはら)政権とも。平安末期,伊勢平氏の平清盛によって確立された政治権力。白河・鳥羽両院政に武的親衛隊として登用されて急速に武門としての力を伸ばした伊勢平氏は,保元・平治の両内乱を通じて源氏をおさえ,国政を動かす重要な勢力に成長した。1167年(仁安2)の後白河法皇による清盛の太政大臣就任により,平氏は事実上朝政のヘゲモニーを確立した。その権力は,従来の太政官機構に依拠しながら一族を顕官要職につけるとともに,知行国(ちぎょうこく)や膨大な荘園を支配し,武門の棟梁(とうりょう)として国家守護の任をにない,それらのシステムに寄生しながら地方武士との間に固有の主従制を築こうとするところに特徴があり,最初の武家政権としての矛盾にみちた性格をよく示している。後白河院政とは長く協調関係にあったが,77年(治承元)鹿ケ谷(ししがたに)の謀議の発覚以後は溝を深め,79年のクーデタで院政を停止し,軍事独裁体制を樹立した。近年はこれを重視して,平氏政権の本格的開始をこのクーデタに求める見解も少なくない。クーデタにより一時平氏の支配は強化されたが,かえって本来の矛盾が露呈し,武士・寺社勢力からの反発をかった。翌80年には源氏の挙兵を許し,やがて83年(寿永2)の木曾義仲の入京により都落ちを余儀なくされ,85年の壇ノ浦(現,山口県下関市)の戦によって,完全に源氏に追討されて消滅した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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